From シンヤ&サヤ(男女のパートナーシップ研究所)
(→前回のつづき)
※僕自身の過去の「結婚できない体験談」の続きです。
結婚式を挙げてからわずか3ヶ月後、僕と彼女の関係は、ついに修復できないところまで来てしまいました。
お互いに、もう限界になっていました。
僕らは別れることを決断しました。
幸い(と言うべきか)僕らはまだ籍を入れていませんでした。
本来ならば、とっくに籍を入れていたはずですが、市役所にいく予定日に僕が熱を出して倒れたので、延び延びになっていたのです。
伸びている間に関係が悪化したので、籍を入れずじまいでした。
その結果、僕らは戸籍上は「未婚」のまま別れました。
バツイチにならずに済んだのが、唯一の救いだったのかもしれません。
バツイチという肩書きは、日本では男性よりも女性の方がデメリットが多くなる傾向にあります。
おそらくあそこで別れたことは、彼女の将来にとってリスクをできるだけ減らすことにつながったと思います。
精神的にはボロボロ
とはいえ、僕らは精神的にはボロボロでした。
とても「籍を入れて無くて良かったね」なんて言うことはできない程、傷ついていました。
ただでさえ、お互いにケンカが続いて別れたことで疲れているのに、そのことをお互いの親や友人、職場の人たちに報告しなければならないのが、さらにツラいことでした。
結婚していなければ、別に彼氏彼女と別れたぐらいで親や友人に報告する義務はありません。
ましてや、職場の人たちに報告する必要など、みじんもないでしょう。
でも、結婚は違います。
結婚するときには、おおっぴらにしてしまっています。
披露宴には親や親戚はもちろん、友人、職場の同僚や上司など、あらゆる生活シーンの人たちに公表しています。
当然、結婚生活が破綻したことも、ずっと隠し続けることはできません。
親に言うツラさ
僕らは最初に、お互いの親に別れを報告することにしました。
これが一番、心が痛みました。
これまで親には、むこうの両親へのあいさつなど、色んな気を遣わせて、手間を取らせてきました。
そんな状態がやっと落ち着いて、ホッとできると思った矢先に、突然の別れ話を息子に打ち明けられる・・・というのは、かなりのショックだったに違いありません。
ただ、母親の方は実はうすうす感じていたらいしことが、後で分かりました。
僕の様子が変だったことと、結婚したのに会う頻度が少ないこと、そして何より、いつまでたっても入籍もしないし、同居も始めないことに、違和感を感じていたらしいです。
この当たりは、母親の「女の勘」なのでしょう。
職場でカミングアウト!
次の難関は、職場でいつカミングアウトするか?
ということでした。
というのも、僕は当時、大手英会話スクールの講師に転職して1年目でした。
結婚した時には、スクールの生徒さん向けのニュースレターで、生徒さ全員に僕の結婚話が告知されていたのです。
そのため、みんな僕が「ラブラブ状態の新婚さん」だと思われていました。
みんな好意で僕の結婚生活がどうか聞いてくれたり、英会話レッスンのフリートークの時にも話題に出されることもあり、そのたびに僕は返答に困っていました。
みんなニコニコして聞いてくれるので、なおさら本当の事は言えずに、ごまかすしかありませんでした。
僕は、次のニュースレターに「シンヤ先生、離婚!」という週刊誌のような記事を、ジョークっぽく載せて欲しいとマネージャーに頼みました。
でも、会議で「さすがにそれはマズいのでは?」ということになり、却下されました。
みんなで話し合った結果、少なくともあと3ヶ月は様子を見て、その先は僕が個人的に生徒さんに聞かれた時に、1人1人真相をカミングアウトする・・・という流れになりました。
最初はこのカミングアウト作業はツラかったのですが、100人以上いる生徒さんたち1人1人に個別に伝えているうちに、だんだんマヒしてきました。
後半はもう、立て板に水のごとく、別れに至った経緯をスラスラと話せるようになっていました。
結婚前の危機 → 挙式 → 別れ
までの流れが、1年以内にすべて行われたことになります。
今振り返っても、この1年間が一番精神的にコタえました。
1年間が、10年ぐらいに長く感じられました。
・・・つづく。
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